テレビの特番やクイズ番組などで時々話題になるので、ご存知も方も多いと思いますが、
明治23年(1890)の11月、

浅草公園六区の北、区外地の千束町に、それまでの庶民の想像を超えた未曾有の高塔が出現します。
俗に「十二階」の名で呼ばれた「
浅草公園凌雲閣」で、明治10 年代に端を発した登高遊覧場ブームの頂点を刻むように登場したこの塔は、時代の変遷の中で盛衰を極めながらも明治大正期を生き延び、関東大震災によってその姿を消しました。




後で出てくる「横浜写真」と呼ばれる手彩色で色付けした「浅草公園凌雲閣」
12のフロアがある閣内、当時の

新聞記事によると、開場時の閣内は、世界各国・日本各地の産物を売る46の店舗が7階までを占め、
世界最先端の電動エレベーターの停止階となる8階は休憩室を兼ねたスペース、9階は美術品などを展示するイベントフロアで、10階から12階までが眺望室、のちの百貨店のそれとよく似た雰囲気だったようで多くの催し物が行われたそうです。
この日本初のエレベーターは、閣内中央につるべ式で2台設置され、1階から8階までを1分ほどで昇降したといいます。残念ながらこの最新型の呼び物は登場が少々早すぎたのか、設置当初から不具合が多く、開業後わずか半年で警察の指導により運転停止となりました。
ここで
明治24年7月に開催された日本初の
美人コンテスト「百美人」
が行われました。百美人の人気は投票総数は4万8千票あまりにのぼっていたことから、かなりのものだったことがわかります。
クリックで拡大参加したのは素人の女性ではなく、めいめいが高い評判を取る
芸妓さんであったようです。
開票の結果、得票数の多かった上位5名の「五美人」と、次点2名は以下のようになりました。このうち6番目の得票数で次点となった小松屋のおゑんは、のちに名妓ぽん太と一緒に写真や絵葉書などに刷られ、大変な人気を博すことになります。
*
新橋 玉川屋玉菊(17歳) - 2,162票 (一等)
* 新橋 相模屋桃太郎(19歳) - 2,130票 (二等)
* 新橋 中村屋小豊 (19歳)- 2,057票 (三等)
* 新橋 津の國屋吾妻(17歳) - 2,054票 (四等)
* 柳橋 河内屋小鶴(28歳) - 2,030票 (五等)
* 新橋 小松屋おゑん - 1,989票 (次点)
* 柳橋 小高 - 2,048票 (次点。票数は誤植のようです。1,948票か?)

1位の
玉菊さん(17歳 本名:川口しよふ)の写真です
クリックで拡大当時は当然、カラー写真はないのですが
「横浜写真」と呼ばれた手彩色により、後で白黒写真に色付けした写真が多く出回っていて、当時アメリカで広く販売されたフランク・ブリンクリー編集による豪華写真集、"Japan, Described and Illustrated" の中で、ミスコン参加者を、この手彩色で色付けしたものがあったので、それを参考に色付けしました。
「横浜写真」と呼ばれる手彩色で色付けした
「東京百美人」参加者
タマエさんの写真
(これはこれで味わいがある仕上がりですよね。)
クリックで拡大 「Japan, Described and Illustrated」 より
明治のフォトデザイナーと勝負です!
(笑)
(色は上の「横浜写真」を参考にしました)
日本初の美人コンテストで2162票を獲得して、

見事一位となった

新橋 玉川屋の玉菊さんです
クリックで拡大当初百美人の得票上位数名には、

金時計や

指輪などを贈るなどとありましたが、その後実際の上位5名の芸妓たちには、

ダイヤモンド入りのネックレスと丸帯が贈られたそうです。
えりぬきの五美人へは、金剛石(ダイヤモンド)入純金五十貫目の首環(ネックレス)と、大和錦(やまとにしき)の丸帯一筋づつを賞興(しょうよ)として凌雲閣より贈り、残りものの腐美人其他(そのた)世話人等へは、其(その)人々の写真を美麗に製(こしら)え、これへ白米一俵、梅干一樽づつを添えて、不景気の見舞いかたがた進呈するよし 明治24年(1891)9月27日 東京朝日新聞より
今の時代の美人とはだいぶ基準が違うのでしょうが、この「玉菊さん」は今でも美人ですよね・・・?
きっと今なら

銀座のクラブのナンバーワンといった感じなんでしょう・・・
もっと、大勢の女性を紹介したいところですが、それはまたの機会に・・・
(^◇^*)
前回に引き続き、日本の女優さんです。
私は中村雅俊さんの「俺たちの旅」

でオメダのお母さん役をしているのが、この人を見たはじめての記憶なんですが、今回のカラー化の素材探しで見ていると随分、若いときから女優さんをしていたんですね。
もう、おわかりだと思います。今回は八千草薫

さんです。
ドラマの影響が強いのか、私にとっては理想の母親像ですし、性格もとても、たおやかというか前に出ず、控えめな感じがとても日本的な感じがして、

大和撫子という言葉がピッタリと当てはまるような女性だと思います。
1931年生まれということですから、現在78歳ということになりますね。歳を取っても、おばあちゃんというより、本当に素敵な女性だと思います。1957年まで宝塚にもいたのだそうですが、そんなイメージは全然ないですね。
30歳前後くらいの写真でしょうか・・・?
カラー化してみると
という感じですが、白黒でもカラーでも、性格の良さがわかる感じがします

。
今の女優さんで誰かに似ている気がするんですが思い出せません・・・・
前の記事にも書きましたが、日本の女優さんは探すのに苦労するので、しばらく日本の人はお休みです。
今回は久々に

日本人を取り上げます。
正直、日本の女優さんをあまり知らないので、誰をっとりあげていいのかわかりません・・・
特に、カラー写真のない時代となると尚更のことで・・・
なんとか、私も知っている人を見つけてきました。
まず、白黒の写真を見てください。20歳前後の頃なのでしょうか・・・
日本を代表する迷女優です

。
わかりましたか?

1939年7月12日生まれで京都府京都市出身の女優です。
血液型はO型で、実父は大映映画の貴重な脇役でもあった歌舞伎俳優中村鴈治郎 (2代目)、夫は俳優の故・勝新太郎、実兄は歌舞伎役者の坂田藤十郎 (4代目)、甥は同じく歌舞伎役者の中村翫雀・中村扇雀兄弟、長男は俳優の鴈龍太郎(奥村雄大)、長女は奥村真粧美。義姉は元・参議院議長の扇千景と言えばもうおわかりですね。
「お母さん」こと中村 玉緒さんです。
本名、奥村 玉緒(おくむら たまお)、旧姓及び旧芸名は、林 玉緒(はやし たまお)というそうです。
私は彼女のくったくのない、裏表のなく飾らない性格が大好きです

。
クイズ!ヘキサゴンIIでは、当番組名物のおバカタレント6人組(Pabo、羞恥心)全員の点数を下回る3点を取り、ジミー大西とともに最下位になり、番組の最下位の最高齢記録更新

をしたというのですが、きっと子供の頃から俗世間とは縁のない生活をしていたのでしょうから、しかたないですよね

若いときの写真も、正直、特別、綺麗とかかわいいというより、どこにでもいそうなタイプの女の子と言う感じですが、さすがに、いいトコのお嬢さんと言う感じで、育ちの良さが感じられますよね。
タレント業以外にも、岐阜県美濃加茂市にあるテーマパーク日本昭和村の名誉村長も務めているそうなので、これからも元気にお茶の間を楽しませて欲しいと思います。
「ガンバレ! お母さん〜〜!!」
今回はハリウッドを代表する大女優

エリザベス・テーラーです。
イギリスのロンドンにて、ユダヤ系アメリカ人の両親のもとに生まれ、7歳の時にアメリカ合衆国へ移住したのだそうです。1932年2月27日 生まれですので現在は76歳ということになりますね。
私は名前は知っていても、映画で見た記憶はほとんどありません。

マイケル・ジャクソンのビデオやステージによく出ているのを見ますが、化粧のケバいおばちゃんってくらいでしか見ていませんでした。
数々の大作、名作に出演し、『バタフィールド8』と『バージニア・ウルフなんかこわくない』でアカデミー主演女優賞を2度受賞している他、多くの賞を受賞しているのですから大女優ですね。
* アカデミー賞

o 1960年 主演女優賞『バタフィールド8』
o 1966年 主演女優賞『バージニア・ウルフなんかこわくない』
o 1992年 ジーン・ハーショルト友愛賞
* ゴールデングローブ賞

o 1956年 特別賞『CONSISTENT PERFORMANCE』
o 1959年 主演女優賞(ドラマ部門)『去年の夏 突然に』
o 1973年 世界でもっとも好かれた女優
o 1984年 セシル・B・デミル賞
* 英国アカデミー賞

o 1966年 主演女優賞『バージニア・ウルフなんかこわくない』
o 1998年 アカデミー友愛賞
ということで、今回取り上げた写真です。
失礼ですが、現在の彼女からは想像もつかないくらい綺麗な女優さんだったんですね

。
いつも通りカラー化してみると
それにしても、さすがハリウッドの女優さんは綺麗ですね。
これだけの美人だからなのか、8度の結婚

と7回の離婚

(三度目の夫マイク・トッドとは死別)を経験し私生活でも話題に事欠かなかったのもわかる気がします。
最初の結婚相手はコンラッド・ヒルトン・ジュニア(ヒルトン姉妹の実祖父の実兄にあたる)。二度目は俳優マイケル・ワイルディング。四度目は歌手エディー・フィッシャー。『クレオパトラ』で共演したリチャード・バートンとは2度結婚生活を送った。現在は4人の子供と9人の孫がいながら、1980年代以降エイズ撲滅

を目指す慈善活動でも知られているということです。
1980年以降は舞台や

テレビドラマにも出演。また、「パッション」や「ホワイト・ダイヤモンズ」という名の香水を発売したり、2006年5月、アメリカのCNNのインタビュー番組にテイラー本人が登場し、現在も自身の健在ぶりを示すと共に近年の活動を語ったというのですから、スパーウーマンですね

。

グレタ・ガルボ(Greta Garbo、1905年9月18日−1990年4月15日)は、初期ハリウッドの伝説的スターでスウェーデン出身のハリウッド女優です。
出演作には「椿姫 (1937)」「アンナ・カレニナ (1935)」「彩られし女性 (1934)」「お気に召す儘 (1932)」「マタ・ハリ (1931)」などがあるそうですが、私はどれも見たことがありません。
正直、名前は聞いたことがあるくらいで、もちろん世代的にも私は全然しらない女優さんなんです。ただ、仕事柄、多くの

写真集をもっているのですが、この人の写真がよく載っているのを見て、印象に残っていたので今回取り上げてみました。
グレタ・ガルボは36歳で引退するまで24本の作品に出演しました。
引退後はマスコミを徹底的に避け、

マンハッタンの自宅で暮らしていたそうです。1954年にアカデミー名誉賞も授与されているが授賞式にも出席せず(彼女の友人である女優ナンシー・ケリーが代理で出席し、賞を受け取った。)、亡くなるまで一度も公の場に姿を現さなかったのだそうです。ロマンスの噂もあったが、生涯独身だったということですが、いったい彼女に何があったのでしょうか・・・


。
一般人にはわからないスターならではの悩みがあったのでしょうが、1990年4月15日に腎不全と肺炎により84歳で死去するまでとしたら、50年近くも寂しい人生を送ったということになりますよね。そのほうが彼女には幸せだったのかもしれませんが・・・。
また、歌手の

ユーミンこと松任谷 由実

は、匿名性を持って曲を提供する際に用いているペンネームはグレタ・ガルボをもじって「呉田軽穂(くれた かるほ)」という名前をつかっています。

あくまでも想像ですが、この写真が30歳代くらいとすると1930年代から1040年代にかけて撮られた写真でしょう・・・
【想い出写真復刻堂】でカラー化しました
今回のポイントは、1930年代くらいのメイクの雰囲気を出すことにポイントをおきました。ただ、彼女の瞳の色と髪の毛の色は私の想像なので、実際はわかりません。
ということで、次回も映画スターを取り上げる予定です

。
まさに、美人の代名詞のような女性ですね。
知的さ、聡明さ、明朗さ、心の綺麗さの全てが表に表れていると思います。
晩年は、恵まれない子供や、発展途上国の子供のボランティアに
従事したことからも、この人の綺麗さは嘘ではないことがわかりますね。
この白黒写真は、どこかで皆さんも一度は目にしたことがある有名な写真ですね。

↓ 【想い出写真復刻堂】でカラーに加工すると・・・

私は、彼女の髪の色も、瞳の色も知らないので、
あくまでも、想像でカラー化してみました