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Merry Xmas.  そして War is over ・・・・  |  1980年の12月8日 世界中の若者に・・・、想像してみてください

105年前の12月17日に世界ではじめて・・・・飛んだ!!

2008/12/17 カテゴリー:男性  コメント(3)
o(*^▽^*)o~♪ いやぁ~、1週間の出張で記事の更新ができずにいましたが、ようやく記事を書くことができました。



さて、今から105年前の1903年の今日、12月17日にノースカロライナ州のキティホーク(町)にあるキルデビルヒルズにて12馬力のエンジンを搭載した「ライトフライヤー3号」によって世界で初の有人動力飛行に成功したのは446オーヴィルと454ウィルバーのライト兄弟でした。

当時、すでに有人のグライダーはあったのですが動力を使ってで飛ぶことには誰も成功していませんでした。当日の操縦者は弟のオーヴィルで、この時これを見ていた観客はわずか六人しかいなかったそうです。


---1903年12月17日、オーヴィル・ライト手記より---
朝起きると、毎秒9から11メートルの北風が吹いていた。マシーンを早々に納屋から引き出し、信号旗を揚げて沿岸警備隊施設に合図を送った。我々が飛行準備をしていると、ダニエルス、ドウ、エタリッジ、ブリンクリー、ムーアの5人が見学に集まって来た。エンジン、プロペラを回して準備を整え、10時35分、私は最初の飛行に向けてマシーンに乗った。この時の風速はおよそ9メートル強。(訂正、政府の公式な風速計では12メートル。)
  ロープを解き放すとマシーンは滑走を始め、11km/hから13km/hくらいまでスピードを上げた。マシーンは4番目のレールにさしかかったところで中に浮いた。ダニエル氏は、まさにレールを離れる瞬間をカメラに捕らえた。前方の昇降舵が重心に近いために過敏な反応を示し、上下運動を制御するのが非常に困難だった。結果としてマシーンは10フィート上がったかと思うと、今度は地面に向かって急降下した。レールの終端から100フィートくらいのところで突然地面にたたきつけられた。飛行時間12秒。                                                    
1903年12月17日


兄は ウィルバー・ライト(Wilbur Wright、1867年4月16日 - 1912年5月30日)、弟はオーヴィル・ライト(Orville Wright、1871年8月19日 - 1948年1月30日)、私を含め一般的には二人兄弟のような印象が強いのですが、実際は5人兄弟で二人の上には、205205 二人の兄と一人の206 妹がいました。


ドイツの航空研究家で当時ライト兄弟が大きく支持していたグライダーの開発者、オットー・リリエンタールが1896年に事故死したことをきっかけに、自分たちで自転車屋を経営しながら動力飛行の研究をするようになり、兄弟は3000回以上の滑空と風洞をはじめとする科学的で綿密な実験結果に基づいて操縦者の意思で飛行する最初の飛行機を制作し、当時、ほかにも多くあった動力飛行機実現のグループに先駆けて動力飛行に成功したのでした。


しかし、ライト兄弟の成功に対し、359当初アメリカ社会はこれを祝福、信用をしないばかりか、こぞって反発し、アメリカ合衆国陸軍、各大学の教授、その他多くのアメリカの科学者は新聞等でライト兄弟の試みに対し、「機械が飛ぶことは科学的に不可能!」という旨の記事やコメントを発表をしたそうです 11

しかし、兄オーヴィルが212 写真技術を持っていたため良い記録写真が撮られ、見学者の証人以外にそれらの写真が証拠として残り、後に「空気よりも重い機械を用いた飛行の実用技術の開発者」と裁判所にも認められたのですが、飛行後のライト兄弟を待ち構えていたものは、必ずしも栄光ではなかったのでした。



なぜなら、ライト兄弟の成功と飛行技術に関する特許取得は、飛行機が兵器として注目されていた事もあり、社会の中で争いや妬みの対象となったり、179他の飛行チームに初飛行成功者としての地位を奪われたりしたからでした。

実際に、、政治的策略から258 スミソニアン協会会長はライト兄弟の成果を一切無視し、そのとき既に兄を亡くしていた弟オーヴィル・ライトが抗議したにもかかわらず、世界初飛行に成功したのはライバルチームのラングレーとしたために、世間はライト兄弟ではなくラングレーだと思い込む者が増えたのでした。さらにはライバルチームの飛行機を、「人間を乗せて飛行可能な世界初の飛行機」と表示してワシントン国立博物館に展示までしたのでした。

では、なぜライト兄弟の記録が復活したのでしょうか・・・?

        wrightbrothers.jpg
       左:兄ウィルバー  右:弟オーヴィル

       machine-flying.jpg

当然ながら、弟のオーヴェルは何度もスミソニアン協会名誉総裁へ飛行実験に対する調査要請を送ったのですが無視され続けたため、当時、ロンドンの科学博物館がライト兄弟のフライヤー号を展示したいとオーヴィル・ライトに希望を寄せてきたのに対し、オーヴィルは受諾し、1928年ライトフライヤー号はイギリスに渡っていってしまったのでした。

ところがイギリス旅行に来た多くのアメリカ人は驚いたのです。「何故アメリカのライトフライヤー号が外国のこんな場所にあるのか?」と、それはやがて大きな世論となり、スミソニアン協会もいつまでもそのことを無視するわけにはいかなくなってきてしまいました。

結局、世論を無視できずにスミソニアンの代表は弟のオーヴィル・ライトと面談し、ライトフライヤー号をアメリカに戻すように要請をしたが、それに対するオーヴィルの条件はただ「歴史を正しく修正する事」というものでした。

そして、ここについにライト兄弟の有人動力飛行の初フライトの記録が世界に認められるようになったのでした。メデタシメデタシ 221(o^-^o)



兄弟とも「妻と飛行機の両方は養えない」との理由で、生涯独身を通し、 オービルは晩年に日本に落とされた原爆について自らが発明した飛行機が利用された結果と死ぬまで悔いていたそうです。
しかしたった10年足らずでライト兄弟が発明した動力飛行機は時速200キロを越えるようになり、戦闘機として使われるようになるまで発達したのはすごい進歩だと思います

   rightbrother coler2

   right broscoler2

その後、ライト兄弟の初飛行百周年にむけて、ライトフライヤー号を復元する研究がいくつか行われたが、コンピュータシミュレーションでは、姿勢が安定しないのでまともに飛べず、完成した復元機に至っては、離陸すら出来なかったことから、ライト兄弟が成功したのは、当日の強風のおかげだったという見解も最近では言われているそうです。



また、496 日本人、二宮忠八も同時期に動力飛行の完成に努力していたことは有名な話ですが、資金不足から研究が遅れ、明治41年(1908年)に12馬力のエンジン(偶然にもライト兄弟の「フライヤー1」と同じ出力である)を自作する構想を立てたが、その矢先にライト兄弟の飛行機の存在を知るところとなり、忠八は、動力源以外完成していた飛行機の開発を取りやめてしまい、本業の薬の製造の仕事にうちこむようになったそうです。
資金さえあったならライト兄弟よりも早く成功をしていただろうといわれていますが、機体の重量が重過ぎるため、完成しても飛べたかどうかは現在疑問視されているのだそうですが、二宮忠八に先に成功してもらいたかったなぁ~。
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コメント

勉強になりました。

ライト兄弟って5人兄弟だったんですか(ノ゜⊿゜)ノびっくり!!

最初は認められてなかったとか
もしかしたら日本人が先に初の飛行を成功させてたかもとか
知らないことばかりでとても勉強になりました。

原爆に心を痛められたというのも・・・。
ある意味彼らも被害者であるといえるのかもしれません。
戦争はたくさんの人の体や心に
傷を残してしまうんですね。

それではまた。
応援ぽちっと(*^.^*)

2008/12/17-14:54 | URL | きたみー #-[ Edit]

こんにちは
今は当たり前のような飛行機も当時は意外なことだったんですね。
日本人にもそんな人がいたとは、ビックリしました。

事情があって2日も休んでしまいました。
ご迷惑をおかけしました。
今日から復活しました、もちろん応援ポチです

2008/12/19-14:56 | URL | ママ美 #t50BOgd.[ Edit]

ニックスです^^ 今日は休みです♪

楽しく読ませて頂きました。当初飛行実績を認められなかった事の詳細は興味深かったです^^
しかし、10年後には時速200キロ、105年後は火星にまで行きそうな勢いです・・・人類って凄いなと思う反面、自然と資源がいつまであって、この繁栄がいつまで続くのかと、ふと思ってしまうこの頃ですね。。。

応援ポチです。

2008/12/23-15:29 | URL | ニックス #-[ Edit]
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